沿革

 
大正14年1月
開店直後から大繁盛。

 

昭和17年
戦争の影響で統制経済となり砂糖が不足し、仕入先を求めて奔走する。

 

昭和20年1月
突然の強制疎開命令により阿佐ヶ谷駅南北50m幅の帯状地帯は全て取り壊された。

 

同年8月
終戦。

 

昭和21年
店舗を再建。

 

昭和27年
地元の有志と共に青梅街道に通じる幹線道路をと都にかけあい、中杉通り誕生。
中杉通りにケヤキを植樹と区にお願いし、緑の街、阿佐ヶ谷というイメージが定着する。
同時に都内で一番早く終日歩行者専用道路の指定を受けた。

 

昭和29年8月
歩行者天国と商店街の夏枯れ防止のために、手作りで七夕まつりを開催。
現在の「阿佐ヶ谷七夕まつり」に至る。

 

昭和30年
商号を「虎屋菓子舗」改め、「とらや椿山」に変更。

 

昭和35年
店舗前にある通りの「阿佐ヶ谷南口本通り商店街」から「パールセンター」に名称変更される。

 

昭和30年代後半
職人による菓子作りコンクールを開いた際、名物大栗まん(350円)誕生。
厳選した大粒の国産栗を丸ごと蜜漬けにして寝かし、白手亡(てぼう)餡(白いんげんの餡)
に包み、大栗型に入れて焼き上げたもの。香ばしく焼きあがった皮に、栗らしく見せるため
に施した芥子粒がアクセントになって、大きくてもあっさり食べられる美味しさだ。
当時の大ヒットCMソング「大きいことはいいことだ」の風潮にマッチして大変話題になり、
以来大好評を得ている。